中国・福建省の永定に「土楼」という集合住宅がある。
梨の花咲く春、土楼の村に魅せられて旅に出た。
土楼の村
 
承啓楼と高北村
 
 
日本から中国の上海に船で渡りそこから福建省へ列車で向かった。
 
 土楼という建物がそこにあることを知ったのはガイドブックからだった。広がる田園の中に巨大な箱。そんな村の様子を撮影した写真に瞬間的に惹かれて中国旅行のルートがなんとなく決まった。(こういうところが気ままな一人旅の特権だ。)
 それまで土楼にはこれっぽちの感情移入どころか、見るのも聞くのも、そのガイドブックが初めてだったし、中国の歴史などの教養は少しも持ち合わせていなかったというのに、わずかな写真だけで旅の目標にしたくなるほど、土楼は見る者をひきつける存在感や味わいがあったのだ 。
 当然写真から心奪われたのは異様ともいえる土楼の姿かたちなんだけど、その周りに広がる景色にも大いにひきつけられた。野や田園が広がる田舎の景色はのどかでうららかな雰囲気に溢れていて〔そこに暮らす人も素朴でこころ温かなんじゃないか‥〕って勝手な妄想も膨らんだのだ。それと土楼で宿泊できるというのも大きなポイントだった。
  旅の目的地っていうやつは、まさに直感と主観のカウンターアタック。いや、妄想と思い込みのカクテルシャワー(?)‥。当たれば天国、外れりゃ地獄。自分の直感と妄想を信じて、一人出発したのです。
 
上海から福建省へ向かう列車内は中国人だらけ。
会話できる日本人どころか、外国人すらいない様子‥。
 
 朝から乗り込んだ寝台列車は上海の街を抜け、田畑が広がる田舎の景色になっていた。私の席があるこの車両には他に外国人の姿は見えない。一応中国人っぽい顔立ちの自分ではあるが、中国の人から見ればやっぱりどことなく違うのであろう、他の乗客からの視線は少々冷ややかに感じる。でも私も愛想振りまいて筆談や会話を試みようとしないもんだから、列車に乗り込んでから会話も独り言もないまま陽はすでに傾きだしていた。
 
さすがにたいくつ‥。
〔明日の朝、章平に着いたら問題は多い。一つ一つクリアしてゆくしかないだろうナ‥。〕
 
 車窓を流れてゆく中国の景色に、私は一人不安にくれていた。一人の時間があるとき、この頃は決まって憂鬱になって自己嫌悪に陥り、あらゆる自信を無くすのが常だった。〔旅に出ながらこんな気持ち嫌だな‥。何もかもすっかり記憶をなくせたら、毎日をもっと幸せに過ごすことができるのだろうか‥。俺こんな所でなにやってんだろう‥〕
 
 私にとって昨年(2001)の一年間はとても辛く苦しいものであった。あることが原因で悲しみと絶望のどん底だった。部屋に一人でうずくまり何もできない毎日が続き「死んでもいい」とさえ思っていた(本当にやばかった)。そんなある日、ふと夕暮れ時に何日かぶりに家の外に出ると、いつもと変わりない景色がまるで生き生きと輝いているように見えたのだ。空、雲、アスファルトの道、砂利土、雑草、立ち並ぶ普通の民家、あたりを行き交う人々‥目に映る外の景色と風の薫り、どういうわけか何もかもが感動だった。家の近くで立ちつくしながら〔これほどに素晴らしい世界が周りに広がって、みんなあんなに生き生きと暮らしているというのに、俺は今まで何をしていたのだろう‥。〕と思っていた。やがて、この感動を伝えられたら何かに苦しむ人の助けになるかもしれないと考えるようになったことが、今回の旅立ち(絵を描くこと)を決めた要因のひとつであったように思う。
 
  いつしか車窓からの景色は闇に包まれていた。一人で通路の窓際に座り、真っ暗な景色の中に時折流れてゆく民家の灯りをぼんやりと眺めながら、買い込んでおいた缶ビールを開けてゆっくりと口に流す。繰り返し頭をもたげる憂鬱をアルコールで打ち消しながら、多くの親しい友達のことを思い出していた。
 辛かったあの時期、私を助けてくれたのは家族や友達との楽しい記憶であり、彼らの存在であった。〔みんなにはとても感謝している。みんなから楽しい記憶をわけてもらわなければ、あるいは今頃‥。みんな今頃どうしているだろうか?〕
 どことなく、疎遠になった昔の友達を想いだしながら、数年の間に過ぎ去った時間は、自分をとりまく人と自身の心を大きく変えてしまった気がして胸が痛んだ。
 
〔これから俺はどうなってしまうんだろう‥〕
 
 列車は速度を増して闇の中を南へとひた走る。あすへの漠然とした不安も憂鬱にさせる嫌な想い出も、朝が来たら全て忘れていることを信じ、列車に揺られて眠りについた。
 

旅人彩図 『土楼へのいざない』 P 2/5 前へ 旅ノ随筆 次へ