『青い鳥』でチルチルとミチルが見つける”幸せの青い鳥”はフランス語の原文では「tour
terelle」と記されていて、あちらでは一般的なハトを指す言葉です。日本でいうところのドバト、キジバトであると言いましたが、この年代におけるヨーロッパ・ベルギーで一般的なハトとはどの種類のハトだったのでしょうか?
世界には約300種類のハトがいます。最もよく知られている種はドバトで、ヨーロッパ・アジア原産のカワラバトが原種になっています。カワラバトは伝書鳩やレース鳩、あるいは愛玩用として飼いならされたり品種改良されたりしました。それがドバトです。ドバトは日本にも輸入されて、やがて野生化し、増えていったのが現在の街中でよく見るあのハトたちです。それから日本では一般的で数も多い種のキジバトですがアジアに分布する種なので、メーテルリンクが物語で書いた「tour
terelle」はドバトかその原種であるカワラバトであると言えるでしょう。さらにメーテルリンクの故郷であり24歳まで暮らしたベルギーは現在でも鳩レースが盛んな国で、その当時(19世紀後半)は世界一の伝書鳩生産国でした。
以上のことからすると一般的なハトを指す「tour terelle」(青い鳥)はほぼ「ドバト」だと考えるのが妥当です。
メーテルリンクが『青い鳥』を発表したころ、ハトに関連した大きな事件がありました。リョコウバトの絶滅です。リョコウバトはカナダからメキシコへと渡りをするハトで、18世紀のアメリカでは50億羽の棲息が推定されていました。
その数は世界で一番多い鳥だったとも言われる程で、18世紀終わり(西暦1800年頃)の全地球人口:約9億人よりもずっとずっと多い数です。しかし1850年ごろから急激に個体数が減りはじめ、1907年カナダのケベック州で撃ち落されたリョコウバトが確認された最後の野生個体となりました。そして1914年に保護のために動物園で飼われていたリョコウバトが死んで絶滅となってしまいます。
メーテルリンクがこの事実を知っていたのかはわかりませんが、リョコウバトの野生種絶滅(1907)の翌年に青い鳥の発表(1908)がされているのはとても興味深いことです。そして青い鳥であるハトを指すフランス語の「tour-terelle」には【
tour :旅行(英・仏語)】という文字が含まれていることも何か関連を想像してしまいます。(terelleの意味はわかりませんでした。同じ綴りの街がイタリアにあります。また「terre」はフランス語で”大地”)
ちなみに絶滅したリョコウバトの英名は「Passenger
Pigeon」直訳で”旅するハト” 。北アメリカに分布した種なので青い鳥の「tour
terelle」とは異なるでしょう。ハトは一般に「渡り」をしませんが、優れた帰巣本能があり渡りに似た行動をして帰還します(1日に1000km近くを移動する鳩もいる)。この習性から紀元前3000年もの昔から伝書鳩はつくられていたので、フランス語のハト(tour-terelle)の中にtourという語が入ったのかもしれません。 |
リョコウバト絶滅の原因は白人移住者の乱獲とアメリカ開拓による森林破壊で餌や繁殖地が消滅したことでした。1860年にアメリカで鳥類保護法が成立しますが、リョコウバトはその数の多さから保護の対象からはずされます(しかし当時既に相当数が減少)。それから7年後にようやくニューヨーク州でリョコウバト保護法が成立し、やっと他の州も続いたのですが既に手遅れでした。
身近なはずの鳥(リョコウバト)、その価値に気づくのが遅すぎた結果の絶滅であったことも、メーテルリンクの『青い鳥』で語られる哲学とどこか結びつく事実であり感慨深いと言えます。もしかしたら、1900年はじめ頃にメーテルリンクはリョコウバトの危機的状況を知り、そこから青い鳥の物語を生み出したのかもしれない、そしてリョコウバトを関連づけるために青い鳥を「tour-terelle」とした‥。そんな空想も面白いですね。
『青い鳥』の原作はとても不思議で様々な示唆に富んだお話です。魔女の存在、旅のお伴の存在、理不尽な国々、生まれる前の子ども達、夢の出来事、逃げてゆく青い鳥、隣の娘の存在‥等、実は私たちがおぼろげに知っている話とは随分違います。「幸せはいつも身近にある」ということが物語の主題ではないと感じるかもしれません‥。
是非時間があれば原作に近い内容のものを読んでみることお奨めします。(かく言う私も、原作に忠実な内容を詳しく知らないのですが‥)
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