V−5 《ゴビの砂漠でポン》
 
 7月30日の早朝、家田氏と山本氏がモンゴル土産を両手に抱え日本へ帰国した。8月に入りまみぃも新学期に向けた準備のため、学校や協力隊の仕事をしなくてはならなくなった。つまり、まみぃはモンゴルでの私のお守りからオフィシャルな用件で開放され、そして私は一人になった。
 帰りの中国ビザは既に取得済み。モンゴルビザの期限が迫っていたし、旅の目的も達成したし、一人にもなったので、もう日本へ帰ろうかとも思ったが、
 〔どうせここまで来たのだからモンゴルのゴビ砂漠へ行ってみよう。〕…と欲がでた。
 
 近々、ゴビ砂漠ツアーを企画しているツアー会社があるのか情報を集めると、8月3日から出るゴビツアーでまだ人数を募集中のものが運良く見つかった。詳しい話を聞くためにツアー会社へ直接出向いた。
 ゴビツアーの行程は6泊7日(予定)で片道の移動のみに2泊を要する。全行程中はミニバス車で移動しながら基本的にテントで宿泊。持参する食材でツアーのメンバーで自炊し、おそらく7日間風呂には入れないという苛酷なツアーだ。また、近頃モンゴルではガソリンが不足しており、道中のガソリンの調達具合によってはウランバートルへの帰還日も遅れる可能性は充分にあるとのことだ。
 日本人御用達の安宿で各種ツアーも企画しているという小さな会社なので、大きな旅行会社のツアーと違い、内容が実にアバウトでサバイバル、かつ値段が安い。そんな所が気に入って、即刻ゴビツアーに参加を申し込み、モンゴルビザの延長も併せてお願いする。
 ゴビツアーの参加者は私を含めて7人。全員日本人で男4の女3。年令は20代中盤から後半がほとんどで、一人離れて50歳の男性がいる。その7人の他にモンゴル人の20代女性ガイドが一人と、同じくモンゴル人で30歳前後のガイド兼ドライバーが二人。合計10名の一行である。今回、行程中の食事をモンゴル人女性が中心になって作ってくれることとなった。
 メンバーと2・3度の打ち合せと買い出しを済ませ、8月3日の朝、6泊7日のゴビツアーへと出発である。
荒野  車に揺られて1時間もすると、もう大草原の真っ只中を走っていた。道は舗装されてなく、ただのわだちで車の揺れもひどい。そしてその後もただただ、わだちの道に大草原。車に揺られっぱなしで、窓の外を見る以外することもない。だが見所は至る所にあって、飽きることはない。まず、これほどの大草原が素晴らしい。向こうの方に見える岩山、その上に浮かぶ雲は刻々と姿を変え、そして、徐々に砂漠気候の植生へと変化してゆく草原の様子に、高校の地理で勉強した世界の気候図が思い出される。遠くに見える牛や羊の他に、草原には大きなワシが羽を休め、小さな野ねずみが走って行くのも見える。どこを見ても、日本では味わえないスケールの景色なのだ。
 「景色見るの大好き!」な私は、これを見ないでモンゴルの何を見るのか?という感じで窓の景色にかじりつく。やがて、青々とした草原が途切れ、まばらに草が生える砂漠地帯へやってきた。砂漠と言っても小さな砂利と砂混じりの荒れた土地で草も点々とだが生えていて、多くの日本人が抱く砂漠的イメージの連なる砂丘地帯は、ゴビ砂漠においてはほんの一部なのである。
 
 丸1日走り続け、その日は草原でテントを張って宿泊することになった。火をおこすための薪は持ってきていない。忘れたわけではなく、その必要がないからだ。薪となるものはこの草原に落ちている乾燥した牛の糞である。その乾燥牛糞を拾いに出かけて驚いたのだが、様々な種類の糞が草原中に点々と落ちているのだ。辺りに一軒のゲルも見えないこの荒れた土地一帯に…。つまり、おそらくこの広大なモンゴルの草原中に牛糞ならびに馬糞・羊糞・山羊糞がちりばめられているのである。日本の面積の約4倍あるモンゴルの土地に奴らは糞を撒き散らしたのだ!…そう思うとなんだか凄い。
 その乾燥している牛糞を素手でつかんで集める。日本では決してすることのない行為と思うが、ここモンゴルでは別に汚いと感じることもない。不思議なものである。乾燥した牛糞は意外と臭い匂いがほとんどしないことも大きな理由だが、モンゴルの遊牧民にとっては本当に当たり前の日常燃料であり、私がそのモンゴルに居ることも大きな理由の一つであろうか。「郷に入っては郷に従え」なぜだかモンゴルにある糞は汚くないのだ。(日本にあると突然同じ糞が汚く感じてしまう…。)
 
 2日目も朝から走り続け、夕方頃にツアーガイドの親しい知人である遊牧民ゲルへ辿り着く。そのゲルのすぐ横にテントを張り、そこをベースキャンプとしてゴビ砂漠の見所を巡ることとなった。ここはゴビ砂漠の真っ只中。あたりは大平原で360°の地平線が広がり、南の地平線の下から険しそうな岩山が覗いている。かろうじて2・3基のゲルが地平線すれすれあたりに見ることができ、見渡すかぎり草が点々と生えているだけで、これといった岩も木も建物もない大平原の一軒家(ゲル)だ。こんなにも目印の無い所で一旦遠出をすると、道も無いのに迷ってしまいそうなほどである。夜なんかに一人で私が遠出をしたらおそらく戻ってこれないだろう。
 
 晩になってゲルの家族から馬乳酒とそれを精製して作ったお酒やアルヒと呼ばれるウオッカの振る舞いをうけた。言葉は通じないけれども、酒を酌み交わし飲むことで気持ちを通じ合えるのは、酒飲み同士の特権であろう。それから、タバコもまた同じような気持ちを起こしてくれる。「酒とタバコ」日本ではどちらにも悪いイメージが付きまとう。特にこの頃のタバコに対する世間の風は厳しいものである。私はタバコは「うまくない」と感じる為に吸わないのだが、タバコを吸う者同士の妙な連帯感については日本でも以前から気になっていた。そして、ここモンゴルにおいては気になるどころか、タバコを吸う者同士の心の交流は目を見張るものがある。〔なんかうらやましい…。〕と感じること多々である。
 ドライバーの一人がモンゴル語を英語で訳してくれて、ガイドの女性がモンゴル語を片言の日本語で訳してくれるのでありがたいが、私はそれほど話し好きでもなければ、人見知りもそれなりにある。言葉を介さずに気持ちを通じ合える酒は私好みの心の交流手段とも言えるのだ。
 
 3日目の朝、二日酔いだった。ゴビの砂漠で迎える二日酔いの朝は後悔と反省に満ちている。〔心の交流といえども、ちと飲みすぎた。みなさんも飲みすぎには注意。〕とモンゴルから東の空へ向けて念じておいた。
 この日は、南の方角に見えた岩山のヨーリンアム渓谷を見てから、ダランザドガドというゴビの都市に寄ってキャンプ地へ戻ってきた。キャンプに戻ってくる途中、すでに辺りは闇に包まれていた。
 
 ふと、闇の空を見上げれば、星、星、星…、星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星星☆、なのだ!
 
 見たこともないぐらいの星が見える。前日・前々日と夜は曇っていたので、あまり見えていなかったが、今日は違う。360°さえぎるものがない大平原で、雲一つ無く、建物の灯り一つ無い闇の夜空がぼんやりと明るいのだ。天の川がはっきりと見える。星座なんかよく判らないくらい星が見える。その天の川を幾筋もの流れ星が駆け抜けるのが見える。人工衛星の粒が滑るように天をゆっくりと横切って行くのが見える。モンゴル冥利に尽きる瞬間である。
星空
 あんまり星に見とれていたから、おそらく「日本には星が無いのか?」という感じのことを遊牧民の人に訪ねられた。私はなぜかその問い掛けに対して言葉を一瞬失ってしまった。「ヤポーン、オト・バエン。(日本、星ある。)」と返して、理解してもらえたようだが、彼らにとってこんな夜空など当たり前の自然で、私たち日本人にとっては滅多に見ることのできない自然なのだ。私たちにとって電気・ガス・水道が当たり前にあるなら、彼らにとっては常に無いことが当たり前なのである。だから、どうこうだと言うつもりはない。ただ、そういうものなのだ。
 
 4日目は、ガソリンの調達やら、車の調子も優れないこともあって、1日をキャンプ地のゲルで過ごすこととなった。
 ゴビツアーが始まって早くも4日が過ぎようとしている。初めて会った10人の人間が寝食4日間を共にすれば、さすがに多少の問題も出てくる。加えて、この旅は苛酷でもある。問題が無いほうがめずらしいとも言えるだろう。
 問題といっても所詮は人間関係に端を発しているよくある話である。わずかな誤解が大きな疑心を産んで、関係にひびが入るというやつだ。このツアー自体が、完成されたものではなく参加者同士で作り上げてゆく色が強かったための問題か、苛酷な行程から来るストレスが原因か…。いずれにせよ、どこへ行っても、いつになっても、この手の問題は尽きることがない。モンゴルのゴビ砂漠であってもである。結局、どんなに遠くへ来ても人間関係のしがらみからは抜け出せないのだろうか…。
 今朝はその問題について少々話し合いがあった。私には直接関係ないと思ったので、ただ話を聞いているだけだったが、あと3日間はこのメンバーと別れることはできないことを考えれば、これはこれでお互いの思考が判って良かったのではないだろうか。私たちはそれで一応の表層的な摩擦回避を図ることができる大人だ。
 そんなおかげで、ゴビツアーとそのメンバーは思い出深いものとなって今の私に記憶されることとなった。他のメンバーにとってもそれは同じであろう。
 
 それからこの日は、キャンプのゲルの家族から羊を一頭買い取り、それをさばいてもらって今晩の夕食にしたのであった。
 人間に連れてこられた小羊は、前脚と後脚をしっかりと捉まえられて仰向けにされる。胸のあたりにナイフが突き立てられて、10p程の幅に皮に切り込みが入る。(血は出ない。)その切り込みに人の手が突っ込まれて羊の胸の内部の動脈の1本を指で潰す。(血は出ない。)この処理をしてしばらくすると、羊は声を上げることもなくけいれんしつつ息絶える。(血は出ない。)そして、皮を剥ぎ、肉をさばいてゆく。(血は出ない。)最後まで一滴の血もこぼさずに解体は終了する。みごとである。
 今晩の食事は、羊の内蔵と頭をゆでたもの。残りの肉はツアー道中の食料として持ってゆくことになった。内蔵などは特別うまい所でもないが、さばいた以上その命は無駄にしてはいけないので、食べられるかぎり腹に詰め込んだ。羊さん、どうもごちそうさま。
 
 そして5日目。このゴビ砂漠ツアー最大の見所であるバヤンザクの岩場とモルツォクの砂丘を訪れつつ帰路に着く。
 バヤンザクは世界で初めて恐竜の卵の化石が発見されたことで有名だ。複雑に風化した大きな岩や崖の奇景が、突然大平原に顕れている様は圧巻である。
 山岳・森林・河川・湖沼・草原・砂漠と変化に富んだ自然環境をもつモンゴルだが、海洋だけは持たない。しかし太古の昔このモンゴルの土地全体が海底にあったそうだ。これほど平らな土地はそのなごりと言うのだろうか?事実、ここバヤンザクの岩や崖の砂は砂浜の砂のようにサラサラとしていて、岩も砂の固まりのようにもろい。海底の土地が隆起したものであると充分に納得できる。
 そのバヤンザクの岩などが風化して砂になり、それが常に吹き荒れるゴビの強風で吹き貯められたのがモルツォク砂丘と言えるかもしれない。(勝手な自論)
 
 陽も暮れだした頃、車の窓からゴビの平原におおきな黄色い砂の山が見えてきた。バヤンザク同様、突然と平原に砂山が顕れ砂丘を形成している。まるで、どこからか超巨大な(推定3000万t級)ダンプカーで砂を運んできて、平原に流し盛ったような感じで砂の丘ができているのだ。その砂の丘こそがモルツォク砂丘だ。
 車が止まるや否や、夕陽に照らしだされて黄金色に輝く砂丘にみんなで飛び出した。走りながら靴を脱ぎ捨て、足にからみつく砂を蹴って更に走り、砂山の頂に駆け上がる。息を飲む一瞬。砂丘の彼方に陽が沈もうとしていた。しばし、言葉もなく夕陽を見つめる仲間達。最高のひとときを私達は迎えていた。〔ゴビ砂漠、サイコーです!〕
 それにしても、綺麗な砂の丘である。きめが細かくて、サラサラとして、遊んでいて飽きることがない。近所にこういう砂丘があると嬉しいものだ。
 
 さて、このゴビツアーに参加して、砂漠までやって来たのは「モンゴルに来たついで」なのであるが、実はある隠された目的が一つあるのだ。その隠された目的とは…
 
「けん玉で世界一周inゴビ砂漠」
 
 という超大胆で超巨大なスケールの目的なのであった。そのために、けん玉は日本で愛用しているものを持参してきた。(ちなみに、モンゴルに暮らす友人のまみぃにも新品のけん玉を贈呈した。これで外出できない真冬のモンゴルライフでも楽しい毎日で運動不足も解消となること必然であろう。…と思う。)
 私のけん玉歴は大学3年生の21歳から始まり今に至る5年間である。中学生のときのキャンプ学習で「けん玉をオリジナルカラーで彩色する」というプログラムがあり、そのときにこのけん玉を手にしたのであった。しかし、中学生の頃はけん玉の技があまりに上達しなくて、半日も経たずに飽きてしまった。(というか…はなからやる気無し。)それから5年以上が過ぎ私は大学生になった。ある日、部屋の掃除最中にふとそのけん玉を発見。やってみたら少しの練習で技ができたことが私のけん玉歴の始まりとなる。それからは、たびたび練習して少しづつ上達してゆく。大学での教育実習にも持っていった。タイのバンコクに行ったときにも持って行った。この旅でもリュックサックに忍ばせ、中国に渡ってくる船内でも練習した。
 そしていま、そのけん玉を手にしてゴビ砂漠の砂丘の上に私は立っていた。
 
 では、世界一周だ。(「世界一周」とは小皿→大皿→中皿→けん先と順に4つの部位に玉を移してゆく技で、少々難しいが基本的な連続技である。)
 
「カッ、コッ、カッ、シャコッ。」
 
決まった!! ハイ、世界一周できました!
 
 おそらくこのゴビ砂漠の砂丘の上でけん玉世界一周をやり遂げた人間は、多く見積もっても5人はいないであろう。これでモンゴル旅行に思い残すことはなくなった。全ての目的達成である。
けん玉
 
 そして、ゴビツアーは無事終了。ウランバートルには予定どうり7泊6日の行程で帰ってくることができた。これであとは中国を経由して日本へ帰国するのみである。しかし、ただ中国を素通りして帰るのではもったいない…と欲が出た。
 〔せっかく中国へ入国するのだから中国観光を少々しておきたい…。そんでもって、せっかく中国観光するならやっぱりそこでもけん玉でしょう。…そう、中国といったら万里の長城!万里の長城でけん玉世界一周がつぎなる目的。中国が俺を待っている!!〕
 
再び国際列車に揺られ1泊2日。モンゴルに別れを告げて中国を目指す。明日は中国。
 

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