土楼の子どもたち
何度でも思い出してまた行きたくなる
承啓楼の子供たち
 
 次の日の早朝、承啓楼で目覚めた。朝の尿意に3階の部屋からトイレへ向かうと、1階にある住民の厨房からはあちらこちらで湯気や練炭の煙が上がり、すぐそばでは大きな中華鍋を振るって野菜を炒める人、通路にしゃがんでお粥を食べる人、歯を磨く人、その近くに地面をつついて回る鶏‥。この土楼のいつもながらの朝の様子であろう光景に私は目と心を奪われていた。
 トイレから戻ると、今度は土楼内に肉屋が歩いて朝の行商に来ていた。肉屋は「ニクー、ニクー」と中国語で言っているのだろう、呼び声を周りにかけながら歩いて、天秤棒の籠に乗せた豚肉のかたまりを通路に下ろすと、肉屋の男は肉の塊をダンボールの板の上に広げて商売を始めた。やがてぱらぱらと客が買い求めにやって来た。客とその場で商談し、肉のかたまりをダンボールの上で大きな包丁を使って切り分け、天秤ばかりで量り売る。しばらくして客足が途絶えるとまた肉を籠に積んで、朝の村へ肉を売りに土楼を出て行くのだった。(他に同じような行商スタイルの豆腐屋もいた。)
 
 土楼ではみんなの生活する姿がいつでもすぐそばに感じられた。土楼という環境は子供の成長や人間形成にはとてもいいような気がしたし、目に見えぬ豊かな心や信頼関係がここには確かに存在しているようだった。
  しかし〔それはそれで面倒な人間関係も存在するハズ‥。〕と、日本の現代っ子(?)の私は思ったりもしたが、私だけでなくここに暮らす人もそう思っている人は少なくないようだ。なぜなら、住民に若者は少なく。住民の数は年々減少している。金銭的豊かさを求めたりして村を出てゆく人も多いようではあるが、土楼の外に豪華で綺麗な一軒家(味わいの無いタイルばりのコンクリート建物)が増えていることでもそれは分かる。 やがて、この人々の暮らす生き生きとした承啓楼も遺跡のような観光としての建築物になってしまうのだろうか‥。そうはなってほしくないものであるが、人が金銭的豊かさと人間関係におけるわずらわしさからの開放を求める生き物である限り、承啓楼は遺跡への道を辿るであろう。でも人は心の豊かさも求める生き物である。土楼を離れた人もやがてここに帰り、誇りを持って暮らしながら土楼の生活を伝えてくれるのではないかと期待している。(簡単なことではないが‥。)
 
 土楼のある高北村は田園と丘陵のある田舎で、承啓楼の周辺には小さな売店が2・3件あるくらい。気の利いた、味で評判の賑わうレストランや食堂も無い感じだった。みな小川や井戸端で洗濯をし、日本では暮らすのに最低限必要と言われる電化製品(洗濯機・テレビ・冷蔵庫)などはあまり普及していない様子。宿もあまり無いのか、宿泊できる土楼内の部屋は競争原理が働いていないような居心地悪さだ。土楼観光以外にグルメ・レジャー・ショッピング・リラクゼーションという一般的な旅の楽しみをここに求めることはできない。
  しかし、ここ承啓楼にも変化と時代の波は確実に迫っていた。「承啓楼を世界遺産へ登録するべく申請している。」と管理人さんから聞いた。世界遺産となれば観光客が増えて村は豊かになる。村では建設ラッシュや新規開店ラッシュが続いており、これからおいしい食堂や土産物屋、豪華な宿屋などが増えてゆくことだろう。
  ‥誰もがみな豊かになりたいのだ。物質的・金銭的に豊かになることは悪いことではないし、それを望むのは当然のことだ。
 
 意欲と自信をもって土楼の改革に立ち向かう管理人さんへ 「村が発展し豊かになりながらも、この村のいい景色や、土楼の人たちの温かい心が失われないことを願っている。」と私が筆談によって伝えると、その言葉を見た管理人さんは一瞬呆れた様な表情を見せると、ただ静かに私の顔を見て微笑んでいた。
 通りすがりの日本人旅行者に何が解かる?そんな声に出さぬ管理人さんの感情が一瞬読み取れて、それ以上私は何も言えず、観光旅行者特有のエゴな発言であったことを恥じた。
 私の伝えたことが、彼らの本当の貧しさや豊かさへの強い憧れを理解せぬ発言であったことは確かだが「豊かさを求める過程で失うもの」については彼らよりも知っているつもりだし、失ったそれらを取り戻すことがどれほどに困難であるかも知っている。それらは私の暮らしている今の日本にはありふれた話題なのだから。
 
 ある日手持ちの服が汚れてきたので「洗濯をしたい」と管理人さんに申し出たら「すぐ裏に小川があるから」と言う。バケツを借りて小川へ向かうと既に村人の数人が賑やかに喋りながら洗濯をしていた。村の人の多くは洗濯機をもっていないから、共同の井戸端やこの小川がみんなの洗濯場だ。川幅はおよそ3メートル位で、深さは最も深い部分で70p位だろうか。村の目抜き通りに沿って流れるこの小川は村人の生活もそのまま流れ込んでいるような川だ。
 私も洗い場片隅に場所を取り、バケツに水を汲む。服の手洗いは長旅では基本だが、普通は宿の洗面所やシャワー室を利用することが多く、野外の小川で洗濯をするのは私にとってはこれが初めてだった。
 朝の軽やかな陽を受けてする洗濯は実に健やかで、川の流れる音、村人たちの賑やかな喋り声、遠くの鳥のさえずり、暖かな光‥、自然と人の暮らし、経済と環境、科学技術と人々の心‥、こうしてここで洗濯していると色々なものが見えてくるようなのだ。
 
 近い未来、数年先にはこの川の汚染はもっと進んでいることだろう。今より水質が良くなっているとは考えにくい。豊かになればきっと村人の多くは洗濯機を買い、生活廃水が大量に小川へ流れ込むからだ。こういう農村部では下水処理施設などの整備は後回しにされるのは明らかで、汚染は長い間放置される。そして川に寄り合う近所づきあいも減って、よく知る者同士がもつ「村」社会の信頼関係は希薄になる。
 経済の発展により手洗いの労働から解放されるが、もしかしたらその代償に環境の汚染と村民同士のコミュニケーション不足で生活の不安は増すことになるかもしれない‥。水の濁りや川底に生える藻、淀みに体積するゴミ、川で洗濯をする若者がいないことなど、既にこの小さな川面にもそれらの兆しが見えはじめている。
 自然環境や互いの人間的なふれ合い、一度失ったそれらを取り戻すにはとても多くの時間・労力・お金を要することを私はおおよそながら知っている。だからこそ、この瞬間(高北村の小川での洗濯)が一層いとおしく思えるのかもしれない。
 〔川はあたりに暮らす人々の生活を映す鏡なんだなぁ。〕と思っていると、放し飼いのアヒルの親子が小川にやってきて水浴びを始めだした。アヒルたちのはしゃぐ声は辺りに響いて、平和で穏やかな午前がいつもよりゆっくりと流れていくようだった。
 
 結局、承啓楼には2週間ほども滞在してしまった。あれから月日は流れ、村が今どうなっているかは分からないが、あのときの土楼や周辺の風景は何度でも思い出して、そのたびにふーっと村で嗅いだにおいや、肌に感じた風や、耳にした音がよみがえってくる。そのときに出会った人の顔や声も同時に頭に浮かんできて、またあの村のあの土楼へ行きたくなるのでした。
 
おしまい
 
 

旅人彩図 『土楼へのいざない』 P 5/5 前へ 旅ノ随筆