人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
夏も暮れます
No.134 夏の夜の夢(2) 2010. 9. 8

 夢の中で殺人者(自殺幇助した)となった私は、
 〔あぁもう仕事へは行けない。学校で子供たちに会うことはできない。友達とも会えなくなる。家族には迷惑をかけることになる。絵も描けなくなる。俺は、なんてことをやってしまったんだ!それが本人の願いであっても、やるべきではなかった。どうしてこうなることを俺は想像できなかったのか!〕
 ‥と、その軽はずみな行いを激しく後悔する。(夢の中で)
 今失ったものの大きさと、これから失うものの大きさを感じ、うーっと苦しみながら、どうしよう!どうしよう!と焦る私。へんな汗が出る感じがして、なんとか何事も無く済む方法はないかと、必死に知恵を出そうとする(後半は凄く人間的です)。
 しかし、いい方策は出てこなくて‥-------------------- そして目が覚める、という内容だ。
 眠りから抜け出て、それが現実ではなかった判ると、心から「夢で良かった」と1人で安堵した。
 ずいぶんと怖い夢だった。人を殺すくだりのところは、まるで夢の如くで、恐怖感やリアリティは無く、誰かは知らないけれど希望を叶えてあげられたことに満足感すらあったのだが、殺害後の自分の置かれた現状をリアルに・冷静に考え出してからは、夢の中ながらも本当に血の気が引いていたと思う。〔あー、これが夢なら良かったのに!〕と夢の中で思って、〔?!そういえば顔を枕に埋めてるような‥これ夢か‥、あーっ!!〕というところで確信に至って現実の世界に戻って来る(起きる)ことができた。ふぅーー。
 
 なんでも「何かに焦る夢」は、現実の自分が追い詰められている時によく見る夢だと聞く。当てはまる事柄を思い起こしてみると、「自分という人間が一般社会からどう見られているのか?」について私が意識し、たびたび焦りを感じている故に見た夢であることは推測できる。
 それから「知らない人を殺す夢」は幾つかの解釈があり、その一つに、殺した知らない人に対しストレスを感じてない場合「現状の問題などが改善し展望が見えてくる予兆」だと言われているから‥まぁ、悪い気はしない。(こういう類の話はいい解釈で取っておこうと思う)
 
 特に“オチ”は無い話だし、寝ている間の夢のことなんで軽く流しておくが、私は現実の心の中に「引き止めてくれる存在を」持っているのだと解った。それは、私の行いを邪魔するものではなく、私の心を支え・暖めてくれるものだと思う。
 心の中に居る人や物(普段は隠れていて気づかない)の為に「現実の努力」を怠らないようにしようと、密かに思う夏の夜の夢でした。
 
夏の夜の夢 おしまい 
 

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