人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
No.41 気まぐれに瀬戸物(3) 2004.10. 4

 露店が並ぶ通りの端から端までを、かなり早足に見終えると時間は午後6時をかなり過ぎた。陽が沈んであたりはもう暗い。露店に明かりがともり、午後7時の祭りの終わりに向けて最後の「たたき売り」攻勢にでる店も出てきた。
 第73回を数える今回の「せともの祭り」。会場には食べ物を含めた露店の数で300軒とか言われ、半数以上は陶磁器を扱う露天なので、全ての品に目を通そうとしたら一日がかりで体力も精神力も使い果たす覚悟が必要だ。幸い、今回の私は時間が無いので体力も精神力も使い果たさずに済みそうだ。
 しかし、この露店の数とそこに並ぶ無数の品を見よ!「選択肢」は多い方がいいと誰もが思うが、必ずしも選択肢が多い中から選ぶ程に「幸せ」も大きくなるかと言えば、そうじゃないなぁと思う。
 選択肢が増え過ぎると吟味・比較・検討する苦労も増えるし、拮抗する対象を選んだ後には「あっちにしておけば‥」という悔いが起きることも多い。
 ぶらりと気まぐれに立ち寄った一軒の店で「オッ!」と思ってすぐに買ったカップと、200軒の店一軒づつの商品を比較・検討してやっとの思いで一つに絞って買ったカップ、得られた幸せを相対的に数値として見た場合「全体の幸福」=「得た幸せ」−「得る為の苦労」−「その後起きる悔い」と言えるわけだから、前者の「ひらめき購入」方が得られる「幸せ」が相対的には多いことになりそうだ。もちろん一概に言える話ではなく、「選ぶ」という行為に幸せを感じる人もいるし(得たものよりも選んでる最中だけに幸せを感じるというのも問題だが‥)、苦労の分だけ得た時の幸せが増える側面もある。その価格も幸せ量を左右するポイントだろう。幸せの基準は人様々。多くの選択肢を抱えて苦労することも、偶発的なひらめき頼りにわずかな選択肢から早々に決めることも、どちらも「幸せを得たい!」という気持を元にしていることは変わらないわけだが‥。
 〔幸せについて何か色々な発想の転換をする必要があるのかもしれないナ。〕と、片付けの始まった各露店を横目に独り思うのだった。
 結局初めに宣言した通り「手ぶら」での帰宅となった。少ない時間ではあったがちょっとした旅気分に浸ることができたし、色々な陶磁器や作品からは歳の近い作家たちの日々の奮闘が垣間見えて刺激になるものがあり充分な心の収穫になった。
 
 駐車場に置いた車に乗り込んで、ふう〜と一息つくと、脚が少し痛くてジンジンと脈打っているのがわかる。あれくらいの歩行でこの様では完全に運動不足。「手ぶら」ではあるが、翌日の筋肉痛お土産つきで「せともの祭り」を後にしたのでした。
 
気まぐれに瀬戸物 おしまい
 

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