人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
No.29 2月29日の偶然(4) 2004. 3. 29

 それが本当のことなのかと初めは疑ったが、直接Tの実家を訪ねて聞く勇気も持てなかったし、普通の生活の中で特別でもない人の「死んだ」という内容の嘘が伝わるはずもなかった。
 やはり彼は自らの手で死んだのだ。何が彼を苦しめて死へと向かわせたのか私は一切の情報を持っていない。Tはナイーブな感覚の持ち主だったから余程の苦悩の果ての行動に死を選ぶのもありえないわけじゃないと感じた。
 苦しみながらも私のことを思い出すことはなかったのだろうか‥。私はTにとっては全く頼りになる存在ではなかったのだろうか‥。止めさせることができていたなら‥。頻繁に連絡を取り合っていたならば‥。私の心にはやるさせなさが大きく残った。
 知友の死というものは、未だ現世に生きる者へ無用ともいえる様な悩みの種を残してゆく‥。そんなことをこのときから私は知ったのだろう。
 Tに対して出来ることはもう何も無い。彼の死に対して私がとるべき行動は(自己満足ではあるが)「どんな苦境にあっても諦めず耐えて生き、彼の分まで人生をまっとうしなければならない。」ということか‥。
 ちょっと気を重くしそうな想い出が湧き出したその日は、うるう年の2月29日。4年に一度しか存在しない日にわずかなタイミング(帰りかけた店に再度戻ったあのわずかな時間の重なり)でOと偶然に会えたことは、ワクワクするようなとても嬉しいできごとで、また改めて明日への気力をもらえた気がするのでした。
 
 今日、10年以上ぶりにOに会ったぞ。あいつ頑張ってたよ。Tよ、俺はまだ生きているぞ。

 
2月29日の偶然 おしまい
 

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