V−3 《モンゴルで食べる味》
 
 7月23日、飛行機でモンゴル入りする家田氏と山本氏を私とまみぃで出迎える。これで4人ともがウランバートルで無事出会うことができた。また、再会を祝して4人で乾杯である。家田氏と山本氏は23日から30日までの1週間をまみぃの家に泊めてもらうことになった。私は…、イドレーゲストハウスで過ごすことにした。今回、モンゴルに到着するまでは、こちらの滞在期間中まみぃの家に泊めてもらおうと思っていたが、海外から遥々訪ねてきた知人から「君の家に泊めてほしい。」と言われて、断れるだろうか?…断りにくいことは確かなのだ。しかも、1・2日間ではなく1・2週間という長期間。ただでさえまみぃには市内観光などモンゴル案内や、我々のツアー企画を立ててくれるというのに、それ以上の多大な迷惑…。3年間会っていない私 とまみぃの関係を考えれば、外に宿をとった方がいいし、加えてそのほうが私も自由で気が楽だし、一人の時間が取れるのもいい。
 よって、朝は一人で時間に遅れぬように起き、ご飯を食べ、昼頃にまみぃの家に出かける。午後の間にいろいろ4人で遊び、観光して、夜は一人で宿に戻り寝るというのがこの1週間のモンゴルでの生活となった。昼と夜はみんなで食べたが、朝食は自分で用意しなくてはならない。(安宿だから、当然朝食など無いのである。)まあ、朝食抜きでも一向に構わないのだが、モンゴルの食い物を大いに楽しみたかったので積極的に朝食を一人で食べた。
 毎朝、宿の近くにヨーグルト売りがやって来ていた。ヨーグルト売りは、よく通る大きな声で何かの掛け声を叫んでいた。おそらく「おいしいヨーグルトだよー」とか言っていたのだと思う。
 
 朝起きると、外から何かを叫んでいる声が聞こえるので、3階の部屋の窓から身を乗り出して下を見ると、若い女の子が一人で叫んでいた。彼女の傍には大きなアルミ製のミルク缶が置いてある。何をしているのかよく分からず、しばらく彼女の様子を伺っていると、どこからか人が鍋を持ってやってきた。ミルク缶から白いものを、その人が持ってきた鍋に注ぐのが見える。はじめは牛乳売りかと思ったが、注意深くその白いものを凝視すると、少々ドロリとしている様に見える…。釈然としないなら直接出向くのみだ。沢山買ってマズイと困るので、マグカップを一つ持ってその売り子の元へ急いだ。 朝の食事
 
 なんと言葉をかけていいのか…と迷いながらコップを差出し「エネ・アウヤー。(これ買います。)」と言うと彼女は理解してくれたようでコップにその白いものを注いでくれた。「ヤマル・ウンテ・ウェ?(値段はいくらですか?)」とたずねると「ゾーン(100トゥグルク≒約12円)」だそうだ。お金を払い、その場でコップの中身を飲んでみると、…!、やっぱりヨーグルトだ。少しすっぱくて、薄い味である。砂糖を入れると食べやすい。
 
 特にうまい味ではないが、ヨーグルトの栄養面での良さとそれを買いに行く行為がおもしろくてよく食べた朝食の一品である。
 
朝食について述べたついでにモンゴルの“食”についても言っておこう。
〔モンゴルの料理はおいしいものが少ない。〕と思う。
 
 大きな声で言うとモンゴルの人にも、モンゴル料理を愛する人にも悪いので、こっそり言っておくが、一般的な日本人の味覚ではおいしい料理は少ないと言えるだろう。日本人はそれより遥かに贅沢な味付けと豊富な味わいを知ってしまっているせいもあるが、なんせ全料理のレパートリーがモンゴルには少ないので、結果としておいしいものが少ないのだ。一般大衆的な食堂にあるメニューを見てもそのレパートリー数は少ない。
 なぜ、レパートリーが少ないのか?それはここがモンゴルだからなのだ。先にも述べたが一年の8ヵ月が冬のような気候の国。しかも雨が少ないので、生産できる農作物が非常に限られるのだ。他国から輸入しようにも、貧しい国なので高価な外貨に太刀打ちなどできるはずもない。…となれば、自然とメニューが少なくなるのはよくわかる。
 では調味料や味付け、調理法で工夫できそうなものだが、それもしていない…。そう、味付けも良くないのだ。なぜかモンゴルの人達は塩味くらいしか使わない。他の調味料が高価なのかもしれないし嫌いなのかもしれないが、塩味だけでは料理の幅も狭いというもの。単なる私の好みではなく、どうも冴えない料理が多いように思う。
 
 これはかなり勝手な私の推測だが、おそらく〔モンゴルの人達は今まで他人においしく食べてもらう為に料理をすることがなかった。〕と思うのだ。家族単位の自給自足の生活を続けてきた彼らにとって、他人へのサービスの歴史はまだまだ薄い。社会主義国から民主化への動きが高まり、市場経済が導入されたのはつい1992年の出来事なのである。まみぃが言うにはこの1年でも見て取れるほどにサービスは向上しつつあるそうだ。今年になってこの夏場に冷蔵庫で冷やされたジュースが普通に店頭へ置かれるように変わったらしく、1年前には冷えたジュースは限られた店でしか売られてなかった。…というのだから、サービスの向上はまだまだ途上中なのだ。つまりそれと料理の味付け(お客さんが喜ぶ味付けの開発≒サービス)も同じであると私は思う のだが、どうだろうか?
 
 モンゴルという国はサービスどうこう言えるほど豊かな国ではないとも言えるし、世界の情報というものがまだまだ世間に少なくて、味に対する人々の欲望が高くないのかもしれない。ここは、溢れる情報の中で情報に飢餓する欲の深い人々が都会のビルに密集して暮らすような日本ではなく、今なお遊牧民達が厳しい自然の中で昔ながらの質素な生活を営む大平原の国、モンゴルなのだ。
 毎朝、自家製ヨーグルトを売りにくる女の子もそんな質素な遊牧生活を送っていることが、その服装と邪心のない表情と瞳に表れていたように思う。
 
…そう思いながらヨーグルトを口に運ぶと、一段と格別の味わいが口に広がるのであった。
〔うん、おいしい!〕
 

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