W−3 《北京の街角にて》
 
疑いすぎて大胆に行動できないときもあれば、疑い忘れて大失敗することもある。
旅の間の行動も人生における選択もそうじゃないかと私は思う。
 
 一人旅の毎日の中には、私が葛藤の末にする選択はそれなりに多く転がっている。今日1日の行動から、どこで、どんな食事を採るのか?という基本的なこと。喉が渇いて、何を飲むのか?そのときどの店を利用するのか?という細かいこと。そして、道に迷ってしまったときどうするのか?知らない人から話し掛けられどう対応するのか?…などなど。 北京の街角でも多くの葛藤ある選択が私を待ち受けていた。疑うべきなのか?信じるべきなのか?疑えば安全で無難でありきたりでつまらない。信じれば危険で未知でスリリングでおもしろい。そのときあなたはどうするのだろうか?疑い深い私もときには信じてみたくなるときもあり…でもそんなときに限って馬鹿をみることが多いものなのだ。
 
 ある日私は北京動物園に行った。バスを乗り継ぎ、徒歩で少々迷いながらも無事に到着して広大な園内を見学。パンダや孫悟空のモデルとなったキンシコウという猿などを見ておおよそ満足し、私は陽の傾きかけた園内を出た。動物園前の大きな道を渡るため、歩道橋の階段を昇るとその橋の上に身なりの汚れた二人の子供が見える。〔なんだろう?ここにいるのが不自然なやつらだな…〕と思った瞬間子供と眼が合った。するとすぐにその子供の一人が近寄ってきて「マネー」と言って私に向かって手を差し出した。
 
〔うっ、日本人ってバレてる。〕
〔俺が億万長者でも、てめえらに金など恵んでやるもんか!当然、無視。〕
 
 その子供を避けつつ進もうとすると、なんと私の足にしがみつき、もう一人の子供が近付いてきて「金をくれ。」と言わんばかりに手を差し出す。私は一瞬で怒りが込み上げたが、もう一度無視してしがみつかれたまま歩きだそうとする。が、力を入れてしがみつかれて歩けない。いらだつ心を押さえて、私の足にしがみつく子供の手をギュウっと握り締め付けた。「なんだおまえは!!」と日本語で怒鳴りつけて自分の怒りを露にすると、ようやく子供達は私の足から手を放して道を開けた。私はいらだちながら、その歩道橋を降りる。降りてから振り返ると、彼らが今度は中国人男性から怒鳴られているのが見えた。
 
そう、その子供たちは物乞いだ。
 
 私はこの手の物乞いには、必ず一銭も恵まないようにしている。〔てめえらみたいなクズに与える金も物も無い!〕というのが私の本音だ。努力もせずに金を恵んでもらおうとか、他人を不快にして金を奪うという考えの物乞いに救いの余地はない。〔金が欲しいなら歌でも唄うなりパフォーマンスをするなりして稼げ!〕と奴らに言いたいと思っていた。
 モンゴルでも中国でも、アジアの国々で多くの物乞いを見てきた。容赦の無い市場経済での格差が生み出す貧富の差。物乞いを生業とする人々が生まれるのは、社会や政治の責任のように言われることもある。しかし、この旅の間のモンゴルでも中国でも、眼は見えなくとも片腕・片足無くとも、素晴らしいストリートパフォーマンスをして、立派に稼いでいる人を多く目のあたりにし、パフォーマンスが良ければ私もお金を差し出してきた。
物乞い
 また、よく同情を売りにした「死にそう・苦しそう・大変そう」という親子連れも見る。巧みに表現された貧相さや苦しさはパフォーマンスである場合も多い。だが、あの二人の子供には明らかに売りにしている内容が見られない。子供としての可愛らしさ(上目遣いで、訴えるように見つめるなど…)を売りにしているつもりだろうが、しがみつくのはルール違反だ。駄目、問題外、失格である。ともかく足にしがみつかれたのが許せなくて、ついつい怒りが込み上げた。あと少しであの子供を殴り倒していたところである。(本当は殴ってスッキリしとけばよかったとさえ思う。)
 
その頃は、行く先で出会う多くの物乞いに対してそんな思いを持ちながら旅をしていたのだった。
 
それから2日後…
 
 その日、私は北京市から次の移動先への列車チケットを予約・手配してもらうために大手旅行会社に赴いた。手配を終え、旅行会社を後にして歩きだす。昼を過ぎた頃で、まだ食事も採っていなかったので、そのままぶらぶらと街中を歩きながら〔どこかうまそうな食堂でメシを食ってから街を散策して宿にもどるか…〕と思っていた。
 大きな通り道の地下道を通り抜け階段を昇ると…突然中国人女性に話し掛けられた。
 〔うわっ、びっくりしたなぁ。また中国人に話し掛けられた。けど…な、何を喋っているのか理解できない。道でも聞いてるのかな?う〜ん、こういうときは…。〕
 
「不明白。=ブーミンパイ(わかりません。)」
 
私がそう答えると、相手の女性は怪訝な顔をして先程とは別の問い掛けをしてくる。
〔…。た、多分「あなたはどこの出身の人ですか?」とでも聞いているのかな?〕
〔ここはとにかく、外国人ということで見逃してもらおう…。〕
 
「我是日本人。=ウォーシーリーベンレン(私は日本人です。)」
 
 そう言うと、どうやら納得してくれたようだったが、彼女は近くにいたつれの中国人男性と女の子をこちらへ呼びつけ私が日本人であることを説明する。
 〔3人連れ?なんかヤバイかな?…でもここら辺は人通りも多く、この人たちも表立った人相からは悪意は感じないし、どうやら俺にも興味があるようだし、まぁ話ぐらいなら少ししてみるか…。〕ということで自分の気持ちを落ち着け、稚拙な中国語で頑張って会話を試みることにしたのであった。
 私が日本人であること、現在中国観光をしていること、モンゴルのウランバートルの友達を訪ねに来たこと…などを中国語で話す。しかし一部言葉が不明瞭なところは筆談である。ノートを広げ、漢字を使って単語を書き合い、お互いの意思疎通を図るのだ。
 道端の植込の縁に4人で座り、筆談を交えて会話をする。どうやら、その内の中国人男性はいわゆる中国残留孤児だそうだ。
 
〔え?!孤児?残留孤児で日本に行くために田舎から北京へ出てきたのか…。〕
〔ふ〜ん、大変だねぇ。〕
 
 男から写真付きの残留孤児手帳のようなものと、それらしい書類を提示される。そしてその男曰く「北京まで来てお金が無くなった、帰ることができないし御飯も食べれないのでお金を貸してくれないか?必ず返すから…。」
 
〔…。〕
一瞬で私の心のシャッターは閉鎖。
 
 〔あ〜…、来たねぇ。こういうの…。なぁんだ、結局金か?残留孤児とか言っても、どうせ全部嘘っぱちなんだろ?楽しい中国人との筆談も一気に冷めたね…。これからどうしようかなぁ、とりあえずもう少し様子を探ってみるのもおもしろいか…〕
 30歳位の中国人男性と女性、それと17歳位の女の子に囲まれ、3人からは懇願するようなすがる眼差しが私に向かって注がれている。
 
「私は学生なのでお金がありません。」と言ってみた。
 
「食事代とホテル代の500元でいいから貸してほしい。」と返された。
 
 〔だんだん本性を顕してきたな。500元といったら、7500円だぞ!!ふざけんなよ!この中国の食事とホテルなら3人分でももっと安い値段で済むわ!何様のつもりだ!たわけ!〕
 
男は話を続けた。
「日本に着いたら、お金は必ず送り返します。」
「私と生き別れになった兄は木田原野といい、日本の広島市中区西白島町に住み…」
 
 〔…でも、この人たちからはなんか悪意を感じないなぁ。服装も汚くないし。女・子供を含む3人連れというのも怪しくない、つまり信憑性がある…。もしかしたら本当に困っている人達なのかもしれない。この人たちに貸す金は余裕で持っている。持てる者が無き者に与える…それが真理であり、人間的なたすけあいの精神というものか…。だからといえど人は見かけによらないというのも真理だ。この悪意が無さそうな雰囲気こそが、こいつらのテクニックともいえる。う〜…。無視して突然走り逃げることもできるが、ここは一つ彼らの真意を確かめてみるか…。〕そこで私はある提案を試みるのであった。
三人組み
 
 「私は今、腹が空いているので、これから一緒に食事へ行きませんか?500元は持っていませんが、食事をご馳走することぐらいなら私にもできます。」絵と筆談を交えて、彼ら3人にそう伝える。
 〔食事とホテル代のうち食事分を俺がおごってやるんだから、それだけでも有り難いと思えよ。よ〜しここでこいつらの様子をよく観察だ。これで俺が納得しなければ、サッサとずらかるゼ。納得すれば100元位なら貸してやってもいいかな。〕
 ということで、その中国人3人と私の合計4人で昼食を共にすることとなった。近くのデパート内にある安めのセルフサービス食堂へ、女の子の案内で向かう。
 3人の中国人は彼ら曰く兄妹で(本当か嘘かは知らないが…)日本に行くのは兄の一人だけ。二人の妹は見送りで一緒に北京までやってきたが、兄の高額な日本ビザを手に入れたら帰るお金が無くなってしまったらしいのだ。(本当か嘘かは知らないが…)そしてしかたなく先のようにお金を貸してくれるように道端で人に声をかけていたそうだ。(本当か嘘かは知らないが…)そのうちの17歳位の女の子は「ワン・リーリュウ」という名前で、中国の大連に暮らしているのであった。(本当か嘘かは知らないが…)
 
 リーリュウの案内で、食堂までやって来た。リーリュウは慣れない私を助けて料理を購入してくれた。優しい女の子で、屈託がなく素直な印象を受けるリーリュウは食事中も色々話してくれたり質問を投げ掛けたりしてくれる。残留孤児である彼女の兄は、日本語を今現在勉強中だとか。温和そうな印象の持ち主で、誠実そうな感じもする。姉の方は無口か人見知りの激しい感じで、会話に参加しようとしない。リーリュウとその兄とは対照的な印象を受ける。
 
 食事を終える。私は自分の分全てをおいしく食べたが、3人は食べ残しがあり、姉は多くを残している。〔食事をご馳走したのに、食べ残すなんて…。食事代が欲しいと言っておきながら、けしからん。ハッキリ言ってマイナス評価。でもプロの騙し屋だったらそんな基本的なミスを犯すだろうか?…う〜ん。どうなんだろう?本当に困っている人達なんだろうか。疑うにも、信ずるにも決定打に欠けるなぁ…。〕
 4人で食堂を出ると、また道の片隅に座り込んで話すことになってしまった。やはりそこで最後の懇願を受ける。
 
「大連へ帰る列車運賃が姉と妹の二人分で250元。250元貸してくれないか。」
〔どうせ返してくれないんだろ…。〕
 
 「大連に行ったら妹のリーリュウの家に寄ってほしい。そのときお金は返せる。」男は言った。
〔たしかにこれから俺は大連へも向かう。でも信じられんな…。〕
 
  3人からすがるような視線が私に向けられた。
 
 アジアを巡れば必ず多くの物乞いに遭遇する。現実に彼らを前にして、無視することもお金を恵んでやることにも未だ納得できていない自分がいた。この3人と、あの物乞いの子供たちと一体何が違っているのだろうか…。
 〔…。そうか、まぁ250元どこかでスリに遇ったと思えばいいか…。もしくはどこかで財布を落としたか…。それで250元なら安いものかな。大連行きの切符代はたしかにそれ位はする。もしこの話が真実ならば、大連に行ってリーリュウからお金を返してもらえるし、中国人の友達ができるかもしれない…。しかし…〕複雑な心境だった。
迷い
 
〔大胆に冒険(?)してみてもいいかもしれない。これも何かの縁だ。〕
「…。わかった。いいよ。やるよ。貸してやるよ。持ってけ泥棒ー!!」
 
 ということで日本の生き別れた木田原野さん宛てに「はきっり言って信じてませんが、250元ドブに捨てたつもりで貸します…」という内容の手紙を日本語で書き、その兄妹に手紙と共に250元を手渡した。そして私は後を振り返ることなくその場を歩き去った。
 宿に戻る帰り道、私の心の中では大きな波がうねっていた。いい事をしたと自分に言い聞かせる中で、馬鹿なことをしたと後悔の念が繰り返し訪れ、全てを悪い方向へいざなってゆく。「人助けをしていい気分」なんて思いは一片のかけらもない。自分に対する激しい嫌悪感と、他人に対する不信感が早くも私を覆い尽くそうとしていたのだ。やがて私はこの事のてん末を確かめたい気分になっていた。
 
〔騙されたのなら、はっきり騙されたと確認したい!!〕
〔それを確認するためにも大連へ行ったときに、リーリュウの家を訪ねてみる。〕
リーリュウの家は「大連市中山区七星街125号」電話番号は大連市2728114。
 
…ということで、新たに私の旅の目的が追加されるのであった。
 
 果たして私は北京で騙されて、馬鹿を見たお笑い者か?それとも、慈愛に満ちた行いが新たな絆を育むのか?アジアで見かけた物乞い達の姿を胸に刻みながら、私はどこまで人と心を信じることができるのであろうか…。
 
その結末は大連で待っている。
(大連のリーリュウ編につづく。)
 

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